Girls talk TZ2# spin-off

 フランス、リヨン。
 ローヌ河畔にそびえ立つ、地上六階建ての偉容を誇るビル――ICPO(国際刑事警察機構)事務総局庁舎の三階に東向きに設置された、対TZ−X調査チーム〈レギオン〉では、先日のFX襲撃以来、これまでの20ナンバーズが被った事故報告書の見直しや、事故現場への調査を繰り返していた。
 世界中の警察における常設協力機関ということもあり、この『本部』と呼ばれる事務総局へリアルタイムで送られてくる情報は膨大なものだった。
 事務処理を担当している光瀬双葉(みつせふたば)は、情報の仕分けだけで午前中を費やしてしまうことが多く、現地事務官のリオネル・バラデュールと分担してこなしてはいるが、どうにも二人の人員では難しいことが少なくない。だからといって現場担当のパイロットたちに助力を求めることは、双葉の自尊心が許さなかった。
 午前中にまとめた資料を、午後一番にアシュット長官に提出し、情報分析の結果から判断、指示を仰ぐというのが彼女の日課である。
 本日は二件、アシュットに会議が入っていた。午前中は、パリ警視庁所属TZU―25ミラージュのパイロット、フランソワーズ・ボルドーを迎えての会議。午後からはその報告を踏まえての、国連文民警察官らが同席する会議となっている。これらの会議の記録は、専任の記録官が担当してくれるはずなので、同席の義務はない。
 双葉としては、正人(まさと)のTZU―28FXが破壊されて以来、連日張りつめていた緊張感が初めてほぐれるような、少しだけのんびりした一日になりそうだった。
 眼下にローヌ河を見下ろす全面総防弾ガラス張りの〈レギオン〉のチームルームには、常に誰かしらが在室していることが基本で、その役目は双葉かバラデュールが交互で担当している。二部屋構成の続き部屋になっている奥の部屋は、アシュットと正太郎の執務室になっていた。
 壁に掛けられた時計の針が、正午へあと半時間を残す時刻を指し示している頃、室内に何やら紙の束を抱えた匐美史(フー・メイシー)が戻ってきた。
「郵便物預かってきたわ。それから新聞一揃いね」
 共用の白いスチールデスクの上に広げられた諸々に、双葉は礼を言うと、慣れた手つきで仕分けを始める。
 EU諸国から届けられた新聞は多言語に精通したバラデュールが速読して、重要なポイントだけ取り上げてくれているので、所定のラックに入れておけば彼が適切に処理してくれるだろう。専任情報担官なる怪しい肩書きのチャールズも目を通すはずだ。
 郵便物は宛先を改め封を切った後、アシュット行きかメンバーで確認するものとに分けておく。
 ここまでのルーチンワークを淀みなく終えると、待っていたように美史が口を開く。
「そろそろ午前中の会議が終わる頃ね。リオネルも出てくるし、そしたらここは彼に任せて、フランソワーズを誘ってランチに行かない?」
「あ、いいね〜賛成」
 封筒束の底をとんとんと机に打ち付けて揃えながら、双葉は弾んだ声で応じた。
 何せ、フランソワーズとは彼女が負傷して入院していた病院で顔を合わせて以来である。もしもTZを破壊される順番が違っていたら、この部屋に彼女の姿があったかもしれない――それを思うと、口には出せないことだが複雑な気持ちになる。
 噂をすれば何とやら。会議に列席していたバラデュールは緊急呼出信号に応じるかのように、「遅くなりました」の声とともにまもなく姿を現わした。


 職員食堂では味気ないという意見の一致で、部外者も立ち入ることの許された地階のカフェテリアで昼食をとることにした。
 サロンとテラスとに分かれているカフェテリアで、フランソワーズと合流した双葉と美史は、陽気を考慮に入れてテラスに席を取った。
 それぞれ大した量を食べられる逞しい胃袋を持っているわけでもないので、オーダーはサンドイッチ程度の軽食に抑えておく。
「〈レギオン〉のみんなに挨拶したかったんだけど、一応仕事で来てるから、チームルームまでは行けなくてゴメン」
 この本部ビル内を移動するには、IDカードを用いて各階各区画に任意に設けられたゲートを通過する必要がある。常勤職員でなくビジターとしてカードを支給されているフランソワーズが移動できる範囲には、さして融通が効かないのだから無理もない。
 事故以来、自慢のブロンドがショートカットになってしまったフランソワーズは、デニム風に織られたパンツスーツ姿で、日の光の下、病院で見かけたときよりもずっと健康そうに輝く、つややかな肌の色をしていた。
 双葉が体調について尋ねると、まったく異常なしと翠の瞳を輝かせて朗らかに応じた。案外丈夫な作りをしていたみたいと、白い歯をのぞかせて笑ってみせる。
「フランソワーズが、元気になってくれて何よりだわ。皆、ずっと心配していたんだもの」
 美史の言葉に深く頷くフランソワーズの表情が、微かに曇った。ずっと心配してくれていたのに、今では数ヶ月前の自分と同じ境遇に陥った友人のことを思い出したからだ。
「あのね……ちょっと前までパリに入院してたでしょ。だから、面会に行ったんだけど……」
 歯切れの悪いフランソワーズの言葉に、正人のことを言っているのだと察した双葉が、促すように言葉を続ける。
「そーそー。完全看護だっていうから、無情にもパリに置き去りにしてきちゃったのよね。入院中の正人って、どうしてた?」
「それが、面会拒否されちゃって」
 あァと、双葉と美史は顔を合わせて、気の抜けたような声を発した。ある程度、予想できそうな出来事だったらしい。
「やりそう。ほんとに傍若無人なヤツだから」
「残酷な事故報告を受けて、体も思い通りに動かなくなってるんじゃ、彼の気持ちもわかるけど」
 気にするようなことではないとフォローに徹する二人の反応はフランソワーズに同情的だったが、当人はそれが望んでいた言葉ではないとでもいうように頭を振った。
「謝らなくちゃいけないと思ったのに、面会断られちゃったから、正直凹んじゃった。自分が悪いってわかってる分、なおさらね」
「凹む……?」
 ローストビーフのサンドイッチをくわえたまま、双葉が間の抜けた声で訊く。
 美史も意味が汲めないように、テ・オ・レのカップを傾けていた手を止めた。
「日本には〈言魂〉って概念があるんでしょ? いわゆる呪いみたいな」
 コトダマね、とオウム返しに言ってみてから、双葉はわかったようなわからないような顔になる。
「わたし以前、正人に悪い言魂をぶつけてしまったわ。それがFXの事故につながったかと思うと、申し訳ない気がして」
 ためらいがちに美史が、一体何を言ったのかと質すと、フランソワーズは神妙な面持ちで、ミラージュを失ったばかりの頃、病院に見舞いに来てくれた正人に対して、今の自分の気持ちを理解したいなら愛機FXを壊してみるといい――そんなふうに言ってしまった、自分の口から飛び出した辛辣な物言いを悔やんだ。
「それからずっと、正人の顔見るのが怖いんだけど、ちゃんと謝っておかなきゃって思ったの」
「あなたってほんとに素直なんだから、フランソワーズ。あの事故は、現場に居合わせたわたしの方こそが責められるべきであって、あなたが自分を責める理由なんてどこにもないのよ」
 膝の上で組み合わせたまま、微かに震えている白い手を、美史は自分の掌を当ててそっと握ってやった。
「でも……正人の事故を聞いたとき、わたし真っ先に、あのときのことを思い出して……もしFXだけじゃなく、正人の身ににまで何かあったらどうしようって、何度も不吉な予感にかられたわ」
「誰かが不幸な出来事に襲われたとき、それをすぐ自分の責任に結びつけて考えてしまうのは、その人を強く思っている気持ちの顕われでしょ。愛していたり、憎かったり、煩わしいと思っていたり――感情の種類は人それぞれかもしれないけど、その人を深く気にかけていなければできないことよ」
 フランソワーズは意味が掴めないように、微かに首を傾げる。
「双葉だって、ね。あの時は、ほとんど寝てなかったものね」
 こちらもぽかんとしていた双葉も、自分に話題を振られて慌て出す。
「何言ってんのよォ、美史。あたしの仕事は、〈レギオン〉の皆のサポートなんだから、付き添いくらい当然よ。美史だって、ドジな正人ごときのために、報告書を代わりに作ってあげてたじゃない」
「現場近くに居たのはわたしだし、正人じゃ文章考えるゆとりなんて、しばらく持てなかったでしょ」
「よく考えてみれば、そうよね――正人ったらあの事故の後、高次脳機能障害とか普通の人だったら何かしらのダメージを受けてるはずなのに、脳の機能に問題なんてまったくなくてピンピンしてるんだもん。ドクターも骨折ひとつしてないのは異常だって言ってたし、シーグルもあからさまに不気味がってた。あの人、以前に同じような事故に遭ったことがあって、そのときは生死をさまようような重態で、しばらくはベッドの住人だったらしいよー」
 照れ隠しなのか、猛烈な勢いで弾丸トークをまくしたてる双葉と、それを黙って聞きながら穏やかに相槌をうっている美史を交互に見比べ、フランソワーズまでもが恥ずかしそうに俯いた。
「二人とも、すっごくイイヒトでいやになっちゃう……これじゃわたし、二人に慰めてもらいに来たみたい」
「あーっヤダヤダ、慰めるなんて言い方しないでよ」
 双葉がぷうっと頬を膨らませる。
「それじゃフランソワーズが悪いことをして、わたしたちが建前上フォローしてるみたいじゃない。悪いことなんか何もしてないんだから、そういう言い方しちゃダメ。そもそもねえ、大昔の日本ならともかく、現代の日本人はコトダマなんてほとんど意識してないし、『ソレ、ナニ?』ってくらいのレベルなんだから……」
 ――どうしてそんなに自分の行動を悔やむの?
    君は悪いことなんか何もしてないんだ。
    悲しいからって自分を責めて罵るのはおかしい。
 双葉の言葉に、正人に言われたことを、弾かれたように思い起こしたフランソワーズは、真剣な日本の友人の顔を見て、堪え切れずに忍び笑いを洩らした。
「やあねえ、あなたたちって……兄妹みたいにそっくりなんだから」
 正人も同じことを言ってたのよ、と付け加えると、双葉は露骨に嫌な顔をしたが、美史は二人とも揃って健全な精神をしてるのだと得心がいった様子だった。
「二人に同じこと言われちゃうなんて、わたしも進歩がないって証拠ね。これを肝に銘じて、もう少し物事は前向きに考えるわ。いつもなんとなく避けちゃったけど、時間が合えば、今日はちゃんと正人の顔を見て帰るね」
 フランソワーズの顔から翳りが消えたことで、テーブルの雰囲気もようやく和やかになり、女同士の話題といえば、果たして、噂話に発展していった。
「ここの部署じゃ女の子二人しかいないし、相当苦労してるんじゃない? 苛酷な労働条件の中で、か弱いあなたたちが身も心も擦り減らしてるんじゃないかと思うと、心配よ」 「またァ、ほんとは面白がってるくせにぃ」
 下手な女優の棒読み台詞に似たフランソワーズの言葉を受けて、白けた目をした双葉がモグモグとサンドイッチを頬張る。
「双葉って人間的にとても優しいから、誰とでも仲良くできるのよ。話し方や態度が、少しも事務的とか営業用な感じじゃないから、仕事抜きにしても皆信頼してるわ。おかげでメンバー同士の雰囲気もいい感じなの」
 美史の――それこそ『優しい』――言葉を受けて、双葉はちょっと照れくさそうに、エヘヘと笑ってみせる。
 するとフランソワーズは雷に撃たれたように、心底感心した表情になって、すごいことだわと唸った。
「失礼だとは承知の上で言わせてもらうけど、正直な話〈レギオン〉はクセモノ揃いだって、パリの職場でも有名なのよ」
「ええ、それって、つまり……正人とか、正人とか、正人とかのこと?」
 正人以外に適当な名前が思い当たらないのか、双葉は正人の名前を繰り返す。
「好いように解釈すれば、たぐい希なる功績の有名人が多いってことよ」
 困惑する同僚をいさめるように、美史は穏やかに翻訳してみせるが、その隣ではフランソワーズが頬の筋肉を引きつらせている。
「ああぅ……美史、それはほんとに好意的解釈」
「わかってるわよ。わたしたちTZパイロットに対する周囲の色眼鏡は、世界中どこの警察に行っても同じ、でしょ?」
「それもあるけど――正人は国際的な舞台で表彰されちゃ蹴る理解不能な問題児だし、若くして米留学までして物理学の修士学位をいくつも取ったくせに無駄にしたハンス、一世代前のTZパイロットとして欧州で名を馳せつつ何故か今じゃノルウェー王室近衛師団のシーグルとか、十になる前から英国情報部の秘蔵っ子やってて骨の髄までMI6に汚染されてるチャールズも加わったでしょ? そんな変人寄せ集め多国籍即席チームの中にあって、メンバーと円滑な人間関係を築いていられるなんて、双葉、あなたって、ジャンヌ・ダルクのようね!」
「それって……身のホド知らずで、最後には仲間に裏切られちゃうよーな人望がないキャラってことォ?」
 思いもよらなかったようなフランソワーズの畳み掛けるような熱っぽい演説に、双葉は徐々に腰が引けてきた。
「やだァ、あたし本気で双葉のこと、尊敬しちゃってるのよ!」
 あまりうれしくないような賛辞に、双葉は辛うじて形になりそうな笑顔を作って応じる。
「変人――は確かに変人だけど、皆優秀よ。仮にも一国の守護神を預かってきた人間ばかりだものね。責任感の強さや実行力、どんな場所にあっても現地の人間との協力態勢を迅速に整えられるコミュニケーション能力等は高く評価できるわ」
「まあ、賢明な美史がそう言うなら、あたしも連中を徹底的に非難するような言動は取り下げるけど――」
 非難、してたんだァ……言葉には出さないが、双葉の胸のうちを冷汗が滑り落ちる。改めて、とんでもない部署に配属されたのだと自覚する。
「弱い点を挙げるとしたら、正人のフランス語力のなさは問題視せざるを得ないわね。ここの庁舎内で迷子になっても案内表示が読めないって、致命的よ……」
 こめかみ手を当てて眉根に皺を寄せる美史に、フランソワーズもフランス語で嘆声を上げた。
「セ・パ・ポシーブル(有り得な〜い)! 仏語読解力はICPO本部出向の必須条件なのよ?」
「ここで日本の恥を暴露しないで〜っ、美史!」
「――で、どうするの? いくらなんでも、このまま放置はマズイわよ。誰か空き時間とか使って、教えてあげたら?」
 美史はう〜んと腕を組んで、大袈裟に考えるポーズを作った。
「発音はシーグルが一番綺麗かしら。ネイティブのリオネルより上手。お祖母様がフランス出身だそうだから、きっと小さい頃から習ってたんでしょうね」
「シーグルはいい声してるもんね。映画俳優みたいな。でも彼って、正人のトレーナーを毎日担当してくれてるから、あれ以上負担を増やせないよ。とか言いつつ、リオネルやあたしは事務ってて、正人ごときに割く時間ないし。あ、チャールズはどうかな?」
「ホホホ! 冗談キッツーイ。女王陛下のワンちゃんは、おフランス語とは永遠に相容れない生き物なのよ」
 高らかにフランソワーズが嘲笑する。傍目、チャールズとは仲が悪いようにも見えないのだが、こういう反英国的な態度を示してしまうのは、彼女がフランス人である限り、どうにも変われないアイデンティティの形なのだろう。
「それじゃァ、ハンスに頼もうかな。彼もフランス語できたような……」
「ええ? ハンスが他人にものを教えるゥ? 想像できないわ。自分以外の人間にとっても厳しいのよ、彼」
「そんなことないよー。わからないこと訊いたり相談したりすると、必ず親身になって応えてくれる紳士だよ」
「双葉はハンスと気が合うみたいだものね」
「セ・ヴレ(マジ)? わあァ双葉、あの子が気に入ってるの?」
 フランソワーズが意外そうに身を乗り出す。そして「モノズキ」と、からかうように唇を突き出した。
「悪いこと言わないわ、やめといた方がいいよ。あの子シスコンだから」
「はああ?」
 パリジェンヌの真摯な眼差しを受けて、受け身が取れなかった双葉は、顎の開閉限界までだらんと口を開けて間抜けた調子で聞き返した。
「暗黙の了解事項というか、そのぅ……怖いからね、誰も面と向かって言えないけど、間違いなくその気があるって。だって、知ってる? ハンスってお洒落でしょ。ちょっと目、ドイツ人には思えないくらいに。あれって着てるもの全部、お姉様のお見立てだって話よ。ミラノのブティックからのお取り寄せとか、生地はイタリア製で親御さんの代から懇意にしてる仕立て屋にオーダーメイドさせてるとも聞いたわ」
「そういえばハンスって、遠目から見ても仕立てのいい服ばかり着てるわよね。本人に訊いても、関心なさそうな様子だったけど――なるほど、謎が解けたわ」
 だけどそれくらいのことでシスコンだなんて決めつけたら可哀想、と美史が苦笑しながら弁護するが、フランソワーズは少しも悪びれた様子はなく、容赦のない言葉を続けた。
「良くも悪くも、おぼっちゃまなのよ。頭はいいし、顔も悪くなくて、ご出身も良家。だけど人付き合いが徹底的に下手」
「そんなことないってば! 似たような条件の正人より社会性あるし、マナーも心得てるし、ずうっとマシだもんっ」
 噛みつかんばかりに、椅子から立ち上がって否定する双葉を、フランソワーズはオホホと軽やかにせせら笑った。
「まあね、わたしもお隣の国の仕事仲間だから、いろいろ助けてもらってるし、ちっとも悪くは思ってないけど、あのお高い性格じゃ絶対本国では敵が多いと思うなあ」
「〈レギオン〉ではみんな好意的よ! ハンスを悪く言う人なんて……」
 いないわけではない――と横合いから口をはさみたくなる衝動を、美史は理性で堪えた。ハンスとの人間関係に問題がありそうなのは、チームの中に二名ほどしか思い当たらない。もっとも、うち一人は弱みを握られているみたいだから、敵には化けられまいが。
「オヤオヤ、ムキになっちゃって。これは本気ですかあ〜双葉ちゃん?」


「それくらいにしておきましょうよ。あんまり大声で言ってると、ご本人様に聞こえちゃうわ」
 やんわりとした美史の鋭い発言に咄嗟に口をつぐむと、二人は慌てて周囲を見回した。
 珍しいことに、カフェテリアにハンスが現れたのだ。横には、これまためったにないことに、三郎の姿もある。
「あっれえ、さぶちゃんも一緒だ。この間も来たばっかりなのに、今日は何の用だろ?」
 言ってるそばから、二人に向かって手を上げて大きくひらひらさせた。
 小綺麗なカフェテリアの内装にもの珍しげな視線を泳がせていた三郎が、場違いな挙措の双葉を見て取って、ぎょっとした顔をした。その次の瞬間には、眉宇をしかめたまま、銃弾の如くこちらへ一直線に向かってくる。
「おまえは――! こんな大人ばっかのところで、恥ずかしいことしてんじゃないぞうっ」
「んもー、更に大声出しちゃうさぶちゃんの方が、子供みたいで恥ずかしいよォ」
 はたと現実を直視した三郎は、同席していた二人の女性の視線に晒され、恥辱のあまり言葉を詰まらせて硬直した。
「はは……は、美史とフランソワーズもここにいたんだ。乱入してシツレイ」
 シトロナード(レモネード)をストローですすりながら、「いつまで経っても、さぶちゃんは若年寄なんだから」と揶揄したようにため息まじり。
 一方、美史とフランソワーズの両者は、堅苦しいけど堅実で礼儀正しいステレオタイプな日本人の三郎を好感を抱いていたので、咎めることもなく華やかな笑顔で迎えてやる。
「あらァ、そちらもお久しぶり。ハンス、サヴァ(元気にしてる)?」
 三郎の通った道筋を、ゆっくりとした足取りでトレースするように歩いてきたハンスは、ひらひらと手を振るフランソワーズの姿を認めると、会議ご苦労様、と言いながら慣れた仕草で彼女の頬にキスをした。
 フランソワーズも軽く音を立ててキスを返す。
 目の前での一連の動作を放心したように見守っていた双葉は、迂闊にもシトロナードを噴き出しそうになった。
「むゥ。どうにも慣れないよな、あれ……」
 横に立った三郎が同情めかして呟くと、双葉は白い頬を紅潮させて、何のことかと白々しく聞き返す。
 その間にも、フランソワーズとハンスの話は進行中で、どうやら話題の焦点は正人のことのようだ。
 ハンスが手首に巻いたナルダンの腕時計を見た。ふたつの針は午後一時を回っている。
「正人ね――この時間の彼なら、地下の射撃訓練場にいるよ。呼んできてあげようか?」
「いっ、いいの! 自分で行くっ」
「ふゥん、そう。たぶん君のカードじゃ、地下階のゲートは通れないけど、どうするの?」
「………」
 パリ・メトロのパスを貸し借りするわけではあるまいし、間違っても、ちょっとあなたのIDカードを貸してよ、と気軽に頼めるような代物ではなかった。
「呼んできてあげたほうがいい?」
 沈黙したフランソワーズを見下ろすように直立不動のまま、ハンスは平坦な口調で同じ言葉を繰り返した。ほとんど静かなる恐喝である。
 親切の表現がなんと下手くそなんだろう、この旧知の友人は――がっくりと肩を落としながら、フランソワーズは「よろしくお願いします」と猫が唸るように低く洩らした。


 ややあって、正人は相変わらずの寝惚けたようなしまりのない顔でカフェテリアにやってくると、フランソワーズの顔を見るなり、にこっとして軽く手首を振ってみせた。
 想像していたような陰惨な表情でなかったことが、萎縮していた彼女の気持ちを安堵させたらしく、先刻正人のことを話していたときのような硬い表情は消え去っていた。
 誰ともなく気を利かせて、美史は早々にチームルームに引き上げ、ハンスは携帯電話が鳴ったので慌ただしくカフェテリアの外へ飛び出していった。一方で双葉は、フランソワーズにここでなく外で話してきたら、と柄にもなく勧めてみる。
 ハンスをここで待つのだという三郎だけ、カフェに残る格好になった。
 状況が呑み込めていない正人とフランソワーズが、並んで市街地へ歩いていく背中を見送りながら、自分もチームルームに戻りかけて、双葉は違和感のようなものを感じて足を止める。
「……変なの」
 唇からこぼれたような小さな呟きを、三郎は聞き逃さなかった。条件反射のようにただ「何が?」と訊くのではなく、ゆっくりと双葉の表情を観察するようにうかがう。
 その顔は、視界に入ったものを自分の中で何と処理したらよいかわからないような――妙なものを見た、という不可解さを浮かべている。やがて巡らせていた思惟がひとつの答えに行き着いたように、虚脱感とともに大きな目が、椅子に掛けた三郎の顔を見た。
 ――正人の隣は、ずーっとあたしの場所だったんだよ。
 三郎は双葉の考えていることがわからないまま、瞬きをしながら首を傾げる。
「ま、いっか。深く考えナーイ。この先どうなるか、わかんないし」
 唐突に理解し難い言葉をぶつけられた三郎の反応などおかまいなしに、双葉は回れ右をして、整然とした足取りでエレベーターホールへ向かった。
「お、おいっ。何だよ双葉、待て。イミフメイ!」
 椅子から立ち上がって、小走りに追いかけてくる三郎を肩越しに振り返ると、唇を尖らせて少しぶっきらぼうに言い捨てた。
「あたしだって健全なオトメなんだから、時にはヤキモチくらい焼くわよゥ」
 鳩が豆鉄砲を食らったような――まさしく間の抜けた顔をして、三郎は孔が開くほどたっぷり双葉の顔をのぞき込んでから、慌てて正人たちの向かった市街地の方を振り返った。
「嘘っ……」
 ――おれが留守してる間に、日本で何が起こってたんだあッ?
 そんな重大事項、今の今まで知らなかったとばかりにパニックに陥る三郎の頭の中は、まさしくエドヴァルト・ムンクの名画『叫び』の光景に酷似していた。
 そんな〈家族〉の反応が可笑しかったのか、にやっと笑って双葉はぴんと伸ばした人差指を三郎の鼻先に突き付ける。
「でもねえ、見てなさいよ〜。ヤキモチ焼くばかりが能じゃなく、その逆もできるんだから!」
「なっ……何ィ!」
 ――てえことは、正人じゃないって事か? それじゃァ……!
「はいはい、妄想アワーはそこまで。他人の心配はいいから、さぶちゃんは自分の事で頑張ってね。年上の女なんてただでさえハードル高いし、未来の義弟は手強そうだよ〜」
 すでに双葉に意中の異性がいるなら誰なのだと質そうとするよりも早く、ずきずきと痛む向こう脛を真向から思い切り蹴り上げられたような心理的打撃を受けて口を閉ざした。
 その隙に、踊るような軽やかなステップを踏んでいた双葉は、待機していたエレベーターに吸い込まれてしまう。
 距離を離されてしまったので、それ以上の追究はあきらめ、音を立てることなく静かに扉が閉まっていく様子を見守った。そして、確かめるように、もう一度市街地方面を振り返る。そこに消えていった、背中の形を思い起こして。


【Girls talk】

●Novegle対応ページ ◎作者:RINKO◎カテゴリ:SF◎長さ:中短編◎あらすじ:TZ番外編。地上最大最強の人型機動機械「TZ」を巡るSF長編。
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