TZ3# continuation

  リムジンがハイウェイを降りて、ウッドベリー・ロードを進んでいくにつれ、車窓を流れる緑が一層濃くなっていった。以前、大統領令嬢である友人リサ・ハミルトンに伴われて、今や随分と昔のことのように思えるレックフュート財閥総帥の誕生パーティに潜入捜査に来たときは、目的ばかりに気がはやって、周囲の風景までにはさほど気を配らなかったものだったが、こうして改めて見てみると、密集した住宅街の奥にひっそりの息づく雄大な自然公園や瑞々しい田園風景――その奥に広大な邸宅を構えるということが、どれだけ贅沢なことなのかと深く感じ入る。
「マンハッタンの近くにこんなところがあったんですね。おれ、都会育ちだから、街がごちゃごちゃしてないと落ち着かない方で。でもいいなあ、こういう場所でのんびり暮らすのも」
 ぽつりとそう洩らしてしまってから、正人(まさと)は目の前の人物が実は尋常でないほどの多忙を極めていることに思い当たり、失言したとばかりに口許をグニュグニュと手で押さえてみる。だが当の日玲(リーリン)は、それを気に留めてはいないようだった。
「わたしが育ったのは中国……いや、台湾の片田舎だったからね。何もない田園風景ばかりが果てしなく広がっていた。むしろ、わたしはこういう場所でないと落ち着いて暮らせないみたいだよ」
「え……エイドリアンは、アメリカ育ちじゃなかったんですか?」
「意外だった? こう見えてもわたしは十代半ばの、正人より若いくらいの年齢で初めてアメリカに来たんだ。香港で事業をしていた義母の仕事の関係でね。それからジャックに会って、以来あの人のもとでずっと仕事をさせてもらってる」
「へえぇ、てっきり……」
 言いかけて、数日前に榊拓郎(さかきたくろう)から聞いた噂話を思い出す。
 フォーシーズンズホテルで顔見知りの様子を見せた正人と日玲の関係に驚いた拓郎は、あろうことか「ホントのことを言うと、彼のことは何も知らない」と宣う甥に、重ねて驚かされた。それでも幼い頃からの面倒見のいい性分が災いしてか、正人に恥をかかせない程度のことを根気よく基礎情報として与えてやったのである。
 日玲は齢二十四にして、レックフュート財閥総帥ジャック・D・レックフュートの側近で、表向きの顔は財閥傘下、香港系資本廖(リャオ)グループの総帥である。東南アジアやイギリスを相手に事業を展開してきた廖グループがレックフュート傘下に加わったのは、彼が義母である故サリー・廖からすべてを相続してからのことであり、口さがない連中は、義母を失って行き場のなくなった日玲が財産をすべてレックフュートに譲り渡して保身を図ったのだという。
『――以上が、若くして富豪になったエイドリアンがレックフュート財閥に迎え入れられた経緯なんだけど、信憑性の薄い話があとふたつあってね。聞きたい? ひとつは、レックフュート総帥には一時期、中国かどこかわからないけれど東洋系の恋人がいたんだそうだ。その女性を住まわせていたのが、今エイドリアンが住んでるあの邸宅。この意味、わかる?』
『つまり、レックフュート総帥と東洋人の恋人の間に生まれたのがエイドリアン? 総帥の隠し子だってこと?』
『そう思うよね。セレブのゴシップ好きな連中は皆、そういう曰く付きのストーリーに仕立てたがるんだけど、恋人を住まわせていた時期はほんの数年間だったそうだし、エイドリアンが財閥傘下に加わった時期とは微妙にズレてる。加えて、その恋人にあんなに大きい子供がいるというのはどう考えてもおかしい』
『んじゃあ、隠し子説は根拠ナシか』
『そうそう。だから残るは、彼自身が恋人じゃないのかって説なんだけど』
『ないないない! やめて、あの総帥六十歳過ぎてんだよ。ちょっと前に、還暦おめでとう誕生パーティやってたんだよ。やめてぇーおれのファンタジー壊すようなグロ話はやめてっ!』
 ファンタジーの件に、拓郎はしきりに不思議そうな面持ちをしていたが、下世話な冗談だったねと笑いながら詫びた。
 噂話の提供源がどこからのものなのかは正人には想像もつかない別世界の話だったが、あの誕生日パーティの会場に居合わせていたからこそ肌で感じて理解できる部分もある。確かに彼らの間には、いらない想像を喚起させる、他人でありながら親子にも似た異質で親密な人間関係が構成されているように見えた。
『実際、あの人ってどんな仕事してんの? 拓郎みたいに大きな企業をいくつも動かしてるってわけ?』
『ぼくと比べられてもね、スケールが違うんで勘弁してくださいって話だな。ぼくは一企業グループの経営者にすぎないけど、彼は「政治家」だよ。国家間の政治じゃなくて、企業間の政治。榊もその政治に幾度となく巻き込まれてる』
 正人にとって初めて耳にする話だった。拓郎のオフィスにあるソファに、だらしなく掛けていた身をばっと起こす。その反応に、拓郎はこれ得たりとばかりにニヤリとしたので、意図を察した途端に正人は仏頂面を作って顔をそむけた。
『このままだと、わが社のTZV型製造権利取得は難しくなるだろう』
『なっ……何それ? それが政治的な話?』
『そう、政治的な話。少し前に某巨大資本から経営参画の申し入れがあったんだけど、あっさり断っちゃったんで』
 頭下げてゴメンナサイと謝ればいいというレベルのものでもないのだろう。いかに楽天的な頭脳組成とはいえ、状況は正人にさえも飲み込めた。
『技術的には他社がどんな企画を持ち込もうと、伍していくだけの用意はこちらにもある。が、いかんせん政治的な圧力を掛けられちゃ分が悪い。ICPOも国連もあちらの領域だし、そろそろ日本企業の独り勝ちは許してもらえないさ』
 そろそろ米企業に指名が来る――と、拓郎は他人事のように言い放つ。淡々と語るCEOの口調に我慢できず、憤然と正人は立ち上がった。
『寝言言うなよ! この前は、エラソーな精神訓話みたいな話してたくせに、自分が危機に立たされたら逃げを打つって? TZは榊が作ってきた規格だぞ。ここで他にかすめ取られてどうすんだ』
『まあまあ、熱くならないで。これまでの実績があればこそ、ウチのガーディアン部門も年々拡大出来てるし、欧州市場での評判も上々だ。これで会社が潰れるわけじゃないから安心して。製造権利はまた、W型の代で取り返せばいいだけのこと』
『トップのおまえが、最初から勝負を投げてること言うなんて……!』
『角を突き合わせてばかりでは、事態の解決は難しい。折り合いが必要なんだよ、何事もね。出る杭は打たれる。実際にそうやって匙加減を計りながら世界を回してる連中がいるんだ。ならば自分は、自分を打ちにくい杭に変えていけばいい。ぼくはそんな風に思ってる』
 拓郎は幼少期から大人びたものの考え方を持っていた。頭の回転が速い年長の縁者、という理由だけではなく、正人にとっては身近な尊敬の対象ですらあった。そんな拓郎を追い詰められる――そんな人間がいるのか、と愕然とする。
 むしろ、拓郎は暗に告げている。
 これから正人が会おうとしている人物の人となりを。
 ――あの人に会うのなら、単なるミーハー根性で会おうとするなよって警告かよ。そりゃあ、むこうは世界に名立たる財界人だし、こっちのことある程度調べた上で接触したわけだろうし……。
 拓郎とのやりとりを思い出しながら、正人は我に返った。
 目の前の日玲を見つめながら、軽く喉の奥が引きつったような違和感を覚える。緊張しているせいだけではない。
 ――今更だけど、この人はおれがICPO捜査官だってこともTZパイロットだってことも、みーんな知ってるんだ。
 表現し難い居心地の悪さを感じた。
 それは今の自分がそれらの肩書に付随する責任をすべて放棄して、組織から遠く離れた場所で自分本位の行動を取っていることに対しての後ろめたさなのか、初めて会ったときに身分を詐称していたことを後悔しているからなのか。
 正人の表情が硬くなった様子に気付いたか、日玲は張り詰めた空気を解くように優雅に微笑んでみせた。
「そろそろ着くよ。妹も君の到着を楽しみに待ってる。少し前に連絡したら、電話口の向こうはちょっとした大騒ぎだった」
 意を決した正人が何か言おうとして口を開きかけたとき、唐突に車窓の景色が静止画になった。リムジンが停車したのだ。
 日玲が運転席に質すよりも早く、座席の横にあるインターフォンが鳴った。ゆっくりとそれを取り上げて、報告を受ける顔の中で柳眉が曇った。素早く表情を戻して、正人に向き直る。
「予定外の客が来てしまったみたいだ。すぐに帰ってもらうから、少しここで待っていて」
 何事かと目を白黒させる正人を取り残して、ドアを引かれたリムジンから軽やかに車外に降りていく。慌てて正人も開け放たれたドアから顔を覗かせると、前方に道を塞ぐようにして停まった、装甲車と見紛う威風を漂わせる黒塗りのマイバッハ・ガードに目を瞠った。
 こちらから日玲がその車に向かって真っ直ぐに進んで行くと、相手も車外へ出てきた。

《以下、本編へ続く》


【TZ3# continuation】

●Novegle対応ページ ◎作者:RINKO◎カテゴリ:SF◎長さ:中短編◎あらすじ:TZ1冒頭。地上最大最強の人型機動機械「TZ」を巡るSF長編。
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