TZ2# turning point

 フランス、パリ市内。
 警察病院、午前二時。
 駆け足厳禁の廊下を大股に歩いてきた金田正太郎(かねだしょうたろう)は、集中治療室前の固い長椅子に、悄然と腰を下ろしている双葉(ふたば)の姿を見つけた。そのかたわらには、影のように立っているハンスの長身がある。
 いつもはきっちりと結い上げている双葉の髪はややほつれていて、彼女の服装はハンス同様、〈レギオン〉の制服のままだった。正太郎が声をかける前に、近付いて来る足音に引き寄せられて、うつむいていた顔が上げられた。彼の姿を認めて、心なしか表情が緩む。日本語で声をかけられたことで、張りつめていた緊張の糸がほぐれたようだ。
 どれくらいの時間、ここに座っていたのか――。
 正太郎が見つけたとき、憔悴しきった双葉の横顔は半ば眠っているようでもあり、何かに必死で祈っているようでもあった。それでも健気に、よろよろと力なく立ち上がりながらも、事務的な口調で事の経過を報告し始める。とはいえ、内容は正人の容態についてがほとんどだ。
「お医者様のお話では、全身に裂傷を負っていて、右半身の大部分が打撲しているそうです。これといった骨折がないのが不思議なくらいだって。まだ治療中で、わたしも中に入れてもらえません。意識が戻ったとしても、しばらくは絶対安静だからって言われました」
「よく助かったもんだなあ」
 息子が一命を取り留めたことに素直に安堵の表情を見せる正太郎へ、間髪入れず、双葉が射るように厳しい視線を向けた。
「まだわかりません! 海の真ん中を漂流していたんですよ。半日近く放置されていたから出血も多いし、体力も低下しているから、意識が回復するまで安心できないって……」
 強く言い切ったその顔が徐々に頼りなげになり、みるみるうちに大きな目は潤み始めた。
「今までに、こんなこと……なかった。危険な仕事は数え切れないくらいあったけど、今回みたいなひどい重傷を負うなんて初めて。ヘリで運ばれてきたときは血だらけで、このまま正人は死んじゃうんじゃないかって何度も思っ……」
 顔を伏せて、喉の奥から絞り出すような声音で双葉は言った。その肩が微かに震えている。何かのはずみで、嗚咽してしまいそうなくらいに。
 正太郎はいつもより一層小さく見える双葉の肩をいたわるように優しく叩いて、再び長椅子に座らせた。
「正人は大丈夫だよ。大丈夫だ、心配ない。FXがかばってくれたんだからね、きっと助かる」
「FX……?」
 小さく口の中で呟いて、双葉はそろそろと頭を巡らせた。
「長官、FXはどうなったの?」
 正太郎は曖昧な微笑を作って質問をはぐらかそうとしていたが、その表情からは絶望的な答えが読み取れた。
「ダメなの? 直せないんですか?」
 苦々しく頷く正太郎の応えに、双葉は顔色をなくした。
 機械に生死があるなどとは、普段は考えたこともない。ましてや自分は、機械人形をパートナーとするTZパイロットでもない。しかし、金田邸地下にある研究室で生まれたTZU — 28FXは同じ邸内で長年ともに暮らした家族の一員である。そのFXが破壊されたことを告げられた彼女の中で、幼い頃、両親の命を連れ去った交通事故の悲劇がリアルに再生された。胸を襲う痛みが容赦なく爪を立てる。
「そんな……うそ。だって正人がそんなこと知ったら、どんなに悲しむかしれないのに」
 堪えきれなくなったように、大きな目から湧き上がった涙が、パタパタと彼女の手の甲に落ちていった。
「わたしもね、正人が目を覚ましたら、何と言って説明しようか考えているんだよ」
 閉ざされたままの集中治療室の重い扉は、正太郎の様々な思いを断ち切るように沈黙を守っていた。扉の向こうで生死の狭間を行き交う息子は、意識を取り戻したとき、一連の出来事を彼なりにどう受け止めるのだろうか。なまじ大きな失敗に遭遇したことのない、経験の浅い若輩者である。彼の意気消沈ぶりを想像するだけで、今後のチームの運営に支障が生じてくるのは避けがたい事実となる。もっとも、のしかかる重責は、正人一人だけが背負うべきものではない。その負担を軽減してやるためにも、自分のような監督責任者が置かれているのだ。
 だが気の毒なことに、おそらく正人には、この度の任務をビジネスと割り切るまでの自覚は芽生えていなかったろう。彼は少年期の無垢な思惟に導かれるままに、現在に至っているのだから。
 正人の中での、FXとは?
 それは任務を全うするための手段や道具ではなく、理想を実現させるためのパートナーだった。いかに傍若無人であろうと、さしもの正人もFXさえなければ、先陣を切って、武力行使する犯罪に真っ向から立ち向かおうとは夢にも思うまい。けれど、ずっとそばにはFXがあった。自らの意のままに付き従う、鋼の鎧に身を固めた古今無双の守護神があった。彼の存在が、正人を現在の立場に促したといっても過言ではなかろう。誰が強制したわけでもなく、また誰が望んだわけでもない。両者を強く引き合わせる不可視の力が導いた、必然だった。
 正人とFXには、同じ女性を母とするだけでなく、生まれたときから互いを結びつける羈絆があったのだ。それが断たれたら、残された糸を掴む正人はどうすればいい?
 残酷だがそれは余人には立ち入ることのできない、正人自身が探し出す、謎解きのようでもあった――。
 正太郎は改めて双葉に向き直ると、取り繕うように、口許に小さな笑みを浮かべる。
「さァ――ここはわたしが付いてるから、双葉は宿舎に戻ってしばらく休みなさい。ずっと付き添いで、疲れたろう?」
 言いながら素早く目でサインを送ると、無言のまま壁に寄りかかって腕を組んでいたハンスが、背筋を伸ばして小さく頷いた。
 ドイツ人のハンスには、二人の間で交わされている会話はほとんど意味がわからなかったが、学生時代に二年ほど教養科目として日本語を選択していたので、幼児会話程度ならば何とか聞き取れるらしい。正太郎の心情も、輪郭くらいは把握できた。
「正人が心配なのはわかるが、今日はもう遅い。また明日になったら、来ればいいさ。それに、何かあったときには必ず連絡を入れるようにするよ」
 もうすぐ母さんも到着することになっているからね、と思いやりに満ちた労いの言葉すらはねのけるように、双葉は頑固に首を横に振って応えた。
 正人のそばに付いていたいといういじらしいほどの意思は、正太郎にも十分に伝わってはいるが、ここで双葉にまで倒れられてはかなわない。正太郎にとっては血のつながりがあろうとなかろうと、正人同様、彼女も大切な我が子であることに変わりはなかった。
「とほほ〜。悲しいなあ。わたしのことが、そんなに信用できないかい?」
「いえっ、そうじゃなくて――!」
 反射的に口走ってしまってから、困ったように双葉が口ごもる。そのまま数秒のためらいの後に、「いたいから」と蚊の鳴くような声でぽつりと呟いた。
「正人が目を覚ましたとき、ここにいたいんです」
 思わず、正太郎とハンスが視線を合わせる。
「精神的にすごくショック受けてるだろうから、暴れたりするかもしれないし、ヒステリーとか起こしたら手間かかっちゃいます。そういうの、長官、慣れてないでしょう? 長い間一緒に仕事してたからわかるんですけど、些細なことでもすぐにパニックになっちゃう正人ってケース、よくあったんです。これまではそれを抑えるのはさぶちゃんだったけど、今はあたししかいないし……フランスではあたし、〈レギオン〉メンバーの補助が第一任務ですから」
 急き立てられるように矢継ぎ早に理由を説明する双葉に、正太郎はもういいと手振りで示しながら大きく頷いて応えた。弱り果てた様子の上官をフォローするように、ハンスが素早く口をはさむ。
「双葉。朝になったら、ちゃんとここへ連れてきてあげるから、今は金田長官補佐のおっしゃる通り、宿舎に帰ろう。少し眠った方がいい。第一、正人が目を覚ましても寝不足の君じゃ、きっと何もしてあげられないよ」
 愛想の片鱗もうかがえない口調は相変わらずだが、彼の言葉には否定できない要素が詰まっていた。途端に双葉の中で、病院に到着して以来、終始離れず付き添ってくれていたハンスに対する申し訳なさが急激に膨れ上がる。
「ハンスこそ……メッスから戻ったまま、全然休んでないじゃない。長いこと付き合わせちゃって、ごめんね。あたしのことならもう平気だから、ゆっくり休んでよ」
「仕事柄、徹夜は多くてね。こういうのぼくは慣れっこだから、内勤のお嬢さんとは鍛え方が違う」
 自分のことは気にかけないでくれて構わないと言いながら、立ち上がろうとする双葉に手を差し出すハンスの仕草は一片の隙も許されないほどに洗練されていて、旧時代の貴族を彷彿とさせる。その淡々と見える端整な顔立ちの中に、唯一感情のうかがい知れる目が、気遣わしげな眼差しを注いでいた。
 双葉は不謹慎だと己を叱咤しつつ、うっすらと頬を朱に染めて遠慮がちに差し出された手を握った。
 まるで王子様とお姫様のようじゃないか、と茶々を入れようとした正太郎は改めて正人の容態を思い、余計な口をつぐむ。
「それじゃ、ハンス。よろしく頼んだよ」
 連れ添って廊下の奥へ消えて行く二人の姿を見送りながら、正太郎は座り心地のよろしくない椅子にかけ直した。
 双葉に、今日の会議で話し合われた内容を話しそびれたのは、良かったのか悪かったのか――窓の外が明るくなるまで考えてみたが、とうとう答えは出せずじまいだった。

《以下、本編へ続く》


【TZ2# turning point】

●Novegle対応ページ ◎作者:RINKO◎カテゴリ:SF◎長さ:中短編◎あらすじ:TZ1冒頭。地上最大最強の人型機動機械「TZ」を巡るSF長編。
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